三崎まぐろの大冒険
三浦の歴史とともに
「かながわの魅力伝え隊」第5回は、“三崎港でまぐろ一筋”の株式会社シー・ユニオン(三浦市)をおたずねしました。魚市場での見学が出来るということでわくわくしながら行ってきました!
お相手してくれたのは、株式会社シー・ユニオンの土山さんです。
ようこそ、三崎港へ!
神奈川県三浦市。相模湾、浦賀水道、東京湾を三方に海に囲まれている三浦半島。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン改訂第3版に二つ星として掲載されている城ケ島が有名です。
美味しい魚・野菜が味わえる食の宝庫三浦で三崎まぐろの魅力を教えてもらいました。
「ようこそ、三崎港へ!今日は三崎のまぐろの魅力をたくさんお伝えします。」と笑顔で案内してくれました。
まず、案内してくれたのが三崎魚市場です。
「三崎魚市場では、毎日500本ものまぐろが入ってきます。
船から水揚げされた三崎のまぐろは、100名を超えるプロの仲買人たちが厳しくチェックし、仲買人によって取引(買付)していきます。
三崎魚市場では、セリではなく入札で取引しているんです。落札すると、一番高い価格を付けた人の屋号(名前)が黒板に書かれます。」
尾っぽはまぐろの履歴書
「切り落されたまぐろの尾っぽを見てください。」と土山さんが指を差しました。
「仲買人は尾っぽを見て、そのまぐろの品質がどうなのかを判断しています」と土山さんが説明してくれました。
尾っぽには、身のしまり方、脂の乗り、色合いなどまぐろの品質を判断するためのたくさんの情報が詰まっているとのこと。その情報をいかに多く読み取れるか、仲買人の腕の見せ所なんだそうです。
本当だ!並んでいる3つの尾っぽを見比べると、まぐろの色味が違います。尾っぽを見ればまぐろが分かる、まるでまぐろの履歴書のようですね。
三崎魚市場は見学スペースより見学させてもらいました。取材当日も魚市場はにぎわっていましたが、12月に入るとさらに活気が溢れてきそうですね。
この日は、地元の小学生も社会科見学に来ていましたよ。
続いて、三崎鮮魚卸・小売協同組合(加工場)に案内してもらいました。
魚市場で入札を終えたまぐろは、フォークリフトで運ばれてきます。
帯鋸盤【おびのこばん】(バンドソウ)という機械で素早く4つに切り分けていくようですが、まぐろの背骨は真っ直ぐではないので、はじめの2分割作業が特に難しいとのこと。
「段々と寒さも厳しくなって冬の作業は大変なんですよ。」と土山さんの表情が厳しくなりました。
きーん、と鳴り響くのこぎりの音。時には、自分のからだよりも大きいまぐろを切り分けるそうです。
当日の気温は11℃。かなり寒いと感じましたが、本当の寒さはこれから。この程度で弱音を吐いてはいけません。反省です・・・。
これから三崎まぐろを目にした時は、作業している皆さんのことを思い浮かべながら食べたいと思います。
最後は、シー・ユニオン工場に案内してもらいました。
大きく切り分けたまぐろをさらに切り分けていきます。
「先ほど大きく切り分けたまぐろは自社の冷凍庫に保管。美味しいと喜んでくれるお客さまの顔を思い浮かべながら切り分けています。獲れたての鮮度を保ちつつ、皆さまの食卓にお届けしています。」
三崎のまぐろが私たちの食卓に届くまでの旅路は、美味しい三崎のまぐろを届けたい!というたくさんの方が携わっていることを知りました。
「三崎まぐろ美味しそうでしょ?」と土山さん。大きな三崎まぐろを横目によだれが出てきそうでした。
初めて魚市場が開設されたのは大正11年、当時の三崎町海南(現在の三崎公園付近)に開設されたそうです。三浦市が発足されたのが昭和30年。三崎魚市場の歴史は、三浦市誕生よりもずっと前だというのが分かります。
右下(白黒)は、上から「花暮の全景」、「三崎町営魚市場の当初の水揚」写真です。
大正12年の関東大震災で土地が隆起し建物がいたみ、加えて各地の遠洋漁船の入港が増加したことから、魚市場を昭和4年3月海南町から西野町の県埋立地の現在地に移転。
昭和30年頃になると、冷凍庫をもった冷凍船ができるようになったそうです。世界中の漁場の旬の時期を巡り、まぐろよりも先回りし漁獲することによって、いつも新鮮で旬のまぐろが市場に揚がるようになりました。平成に入り、三崎魚市場の更なる発展のため「−60℃の超低温冷蔵庫(5,406t貯蔵)」や「製貯氷施設(200t)」を併設し、最新鋭市場と変化してきました。
「三崎港まぐろ発祥跡地として先人達が残してくれた100年近い歴史を活かし、三崎まぐろの美味しさ、新たな三崎の魅力を発信していきたいです。」と三崎の歴史まで熱く土山さんが語ってくれました。
三崎まぐろを通じて、三浦市の歴史を感じる。土山さんの三崎を思う熱い想いが素敵でした。
土山社長、土山さん、スタッフのみなさん、お忙しいところありがとうございました。